「不登校~保護者ができることは?」⑤

不登校を経て学校に戻った男性Dさん、不登校から学校に戻らずに社会へ出た男性Eさん、二人の今に至るまでを紹介していた。

小学3年生から7年間不登校だったDさんは、友達も多く活発な子供だった。「明日から学校に行かないから」と宣言をして学校に行かなくなった。Dさんは学校に行かなければという気持ちの中、モヤモヤした感じで日々を過ごしていた。外にも出なくなり、話もしなくなった。両親は心配し、子供の気持ちを知りたくて、交換日記を始めた。Dさんにとって交換日記は負担で、3年間で途絶えてしまった。日中家で過ごす息子が心配で、母親は職場を近所に変え、昼ご飯を一緒に食べるようにした。学校に相談に行ったり、フリースクールを訪ねたりしたが、状況は変わらなかった。

中学に入り、一旦学校へ行くものの、不登校だったことでいじめられ、また不登校になった。母親は、子供が自殺してしまうのではないかと、常に心配していた。毎日生きているだけでいいと思うようになった。その頃からDさんに学校に行けと言わなくなった。Dさんは家にいてもいいんだと思い安心した。我が家が自分の居場所になった。

Dさんは、学校には行かなかったが、和歌山大学のプラットホーム部という部活動に小4から参加していた。その部活動は、大学生が不登校の子供達と一日中遊んで交流を深めるというもの。Dさんにとって、部活動はとても楽しく、自分らしくいれる場所だった。中学3年の時、将来のことを仲の良い大学生に相談し、高校進学を進められた。それがきっかけで勉強し、県立高校に合格した。高校生活は最初緊張したが、友達や先輩・先生に恵まれ、不登校にはならなかった。授業も新鮮で面白く、とても集中できた。高校3年の6月から不登校の時期を支えてくれた和歌山大学のプラットホーム部に入る為に勉強し、見事大学に合格、現在に至る。

現在不登校のお子さんをもつ親御さんがいくつか質問をした。
Q:学校を休んでいる時、親にどうしてほしかった?
A:自分を肯定してほしかった。学校に行ってない自分を認めてほしかった。

Q:中3の時、大学生に言われたことは、親に言われても同じことではないの?
A:親は上から言われているような、対等ではない立場なので、つい反発したくなる。

Q:不登校を引き目に感じること、劣等感はなかった?
A:高校時代はあった。大学生になってからは、学校に行かなかった時間は、いろんなことを考えて、大事なものが見えた貴重な時間だったと思えるようになった。

Q:いろんなこととはどんなことを考えてた?
A:進路のこと、ゲームの攻略法、将来のこと、世界はどんな風だろう。今までは当たり前だったことが当たり前じゃないんだな。母親は優しいなあ・・・とか(笑)

最後に、親が認めてくれて、安心できたから、次のステージに行けたと笑顔で話していたのが印象的でした。